父のシャツ
週末の朝、私の日課は父のシャツにアイロンをかけることです。今年で九十を迎える父は、遠出することもめっきり少なくなり、日々の行き先といえば近所のコンビニか病院くらい。おしゃれ着である必要はないのかもしれませんが、それでも私は、父のために襟のついたシャツを選びます。
年を重ねて丸くなった背中や、心もとない足取り。そんな父の姿を見るたびに、「ずいぶん歳を取ったのだな」と感じます。だからこそ、父がシワや食べこぼしのついたシャツを着ていると、なんだか寂しい気持ちになるのです。正直に言えば、老いた父がくたびれたシャツを着ている姿は、どうにも見ていられないと感じてしまいます。
パリッとアイロンのかかったシャツを着た父は、まるで背筋がすっと伸びたように見え、かつての若々しさがそっと呼び覚まされるようです。そして、この穏やかな日々が一日でも長く続いてほしいと、あらためて願わずにはいられません。
九十一歳なら寝たきりでもおかしくない。それを思うと、九十歳を超えてなお穏やかな時を重ねてくれる父に、心から感謝しています。時折、シャツにタバコの灰でできた小さな穴を見つけるたびに、「ああ、またか」と小さくため息をつきつつも、どこか誇らしげな父の顔が目に浮かび、なんだか微笑ましく思うのです。